2015年12月23日水曜日

太平記 菊地合戦事(2-06)

大日本史料第6編之22に収録された「太平記 菊地合戦事」の項に、合田氏が登場する。下記画像(引用文献)中、651頁11行に合田筑前守が、654頁15行に合田筑前入道の名が記されている。
合掌。













亦、大日本史料第7編之31を紐解いていると、嘗て、筑後国の河北庄に、合田氏が所領を持っていたことが分かる。此処は、現在の地名で、福岡県三井郡北野町辺りのようだ。かの有名な大刀洗の傍である。
この文書に先行する時代、筑後は名越(北條)朝時・時章が守護に任じられており、名越氏の名代で働いていた合田氏の存在は、加賀の白山文書(白山宮庄厳講中記録)の記述からも知られている。その合田六郎系合田氏の知行所があったのだろうか。それとも、弘安の役(元寇)で活躍した合田五郎系合田氏の恩賞地が設定されていたのだろうか。この合田一族(合田越前守一族)は、伊予国にも料所があったようである。歴史は興味が尽きない。
合掌。



0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。