2012年2月6日月曜日

白山宮荘厳講中旧録(1-01)

嘉禄三年四月廿七日 大桑讃岐次郎光行 山神主職被補■ 非重代依米永氏澄之譲故歟 
同年四月廿九日 越後守殿 平朝臣朝時 当国御家人勤之 百騎笠懸兩社大刀令進勤仕■ 奉行御使者合田六郎 是等事偏依有御夢想之告令勤仕者也

大日本史料 第五編之四

付記
合田六郎の名が記された「白山宮荘厳講中旧録」については、今日まで、刊本の入手が適わなかった。本日、偶然にも、東京大学史料編纂所のデータベース検索画面にて、「白山宮荘厳講中旧録〔内題:白山宮庄厳講中記録(承元3年-弘治2年)〕」の画像データを確認することが出来た。有り難いことである。
合掌。

注記
■:コンピューターに当該文字無し。後日、外字を製作し、訂正する所存。
合掌。

2012年2月5日日曜日

陸奥國宣(1-07)

      花押(北畠顕家)

工藤三郎景資申、糠部郡三戸内會田四郎三郎(合田四郎三郎)跡事、早任御下文之旨、可打渡
景資、使節遅引者、可有其咎之由、國宣所候也、仍執達如件、
    
    建武元年九月六日
                                                   大蔵権少輔清高
   南部又次郎殿

北畠顕家袖判御教書(1-07)

      花押(北畠顕家)

   自是態欲被仰之處、條々注進之趣、具披露華、


一、當郡内凶徒迯散輩有其数歟・・・・・(以下、略)、


一、工藤三郎兵衛尉間事、・・・・・(以下、略)、


一、闕所地事、・・・・・(以下、略)、


一、郡給主等中参御方輩、注進同披露■、一戸新給人横溝孫次郎〔浅野太郎跡〕・三戸新給人工藤三郎〔会田四郎三郎(合田四郎三郎)跡〕・八戸給主工藤孫四郎・同孫次郎等名字不見、何様振舞候乎、可披注進候、注進外三戸新給人岩繹大炊六郎人道〔大瀬二郎跡〕、津輕凶徒与同候也、可被得其意候、


一、津輕事、・・・・・(以下、略)、


一、外濱明師状入見参■、・・・・・(以下、略)、


一、安藤五郎二郎事・・・・・(以下、略)、


條々猶被仰落事候欤・・・・・(以下、略)、


久慈郡并東門事・・・・・(以下、略)、
                                       
                                      六月十二日    大蔵権少輔清高

注記
■:コンピューターに当該文字無し。後日、外字を製作し、訂正する所存。
合掌。