2015年1月25日日曜日

北條貞時十三年忌供養記(1-06)

圓覺寺文書、「北條貞時十三年忌供養記」を紐解くと、合田左衛門三郎入道、合田五郎左衛門尉遠貞、合田四郎、合田左衛門尉の四人の名前が見受けられる。


北條貞時十三年忌供養記 合田左衛門三郎入道

要木採用所々、 伊豆國土肥山 地頭 土肥二郎左衛門尉、 相模國奥三保屋形山 給主 合田左衛門三郎入道、 鳥屋山 給主 本間五郎左衛門尉、 各被成遣奉書、

付記
「新編相模国風土記稿 卷之百十九 村里部 津久井郡 卷之四」に、奥三保の記述があるが、屋形山は確認出来なかった。亦、「天文十五年神分諸次第(八菅神社所蔵・愛川町古文書目録収録)」に、『三番屋形山天童地蔵』の記載がある。八菅神社に関しては、愛甲郡制誌の中津村の項を参照されたい。




北條貞時十三年忌供養記 合田五郎左衛門尉遠貞

合田五郎左衛門尉遠貞
粟飯原五郎左衛門尉常忠
尾藤弾正左衛門尉資廣
本間木工左衛門尉助茂
五大院右衛門大郎高繁



北條貞時十三年忌供養記 合田四郎

近衛中納言 馬一疋鹿毛置按 銀剣一   千葉介進 御使 合田四郎



北條貞時十三年忌供養記 合田左衛門尉

銀剣一  馬一疋置按糟毛   合田左衛門尉



追記
「鎌倉市史史料編第二」所収「圓覺寺文書」より、引用させていただいた。
関係諸氏に、記して、お礼を申し上げる。
合掌。