中世合田氏ノ跡
嗚呼君能知我 而知君亦莫若我 (kousakashikenshoukai@gmail.com)
2015年1月24日土曜日
「新抄(外記日記)」、文永三年七月九日の項に、合田入道の名が見受けられる。(1-03)
「新抄(外記日記)」、文永三年七月九日(1266年7月9日)の項に、合田入道の名が見受けられる。
合掌。
文永三年七月
八日、□戌 関東将軍御休息所、日來□□□殿僧正良基露顕之間、被奉追出於
下第、可有御上洛云々、僧正可被遠流云々、圓實僧正猶南都嗷々間、奈良
庄播州可被籠居之由自関東被申云々、
九日、巳亥 関東飛脚到来、糟谷三郎合田入道 将軍御謀反事云々、仍将軍奉出越後入道
時盛宅奉守護、急可有御上洛云々、
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